コッチョの言いたいこと置場

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考え方は2通り:最大多数の最大幸福

メモみたいなものです。


「最大多数の最大幸福」ってご存知ですか?


イギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサムは「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」と論じました。
正しい行為や正しい政策は、自身の幸福を最大化するものだ!社会に住む人間全ての幸せを最大化すべし!ということですね。


実は元々「最大多数の最大幸福」という言葉を用いていたのはフランシス・ハチスンというこれまたイギリスの哲学者。
ハチスンは、「最大多数の最大幸福」は人間のモラルを基本とした他人への善意の最大化だ!という意味で使っていました。


ハチスンはキリスト教の生まれであり、キリスト教における道徳感情とは、愛や憐みなどの徳を一括りにした「善意」だと説かれます。
ハチスンの思い描いた「最大多数の最大幸福」とは、人が生まれながらに持つ道徳感情によって他人への善意が拡大し、それが「みんなが幸せになりますように」と万人の幸福を願う普遍的善意になることで、社会全体における最大幸福が実現される、ということ。
みんながみんなに優しくしようぜ!って感じでしょうか。幸福は精神的な概念を基盤としてできていると。


「善意による幸福」と「自身による幸福」。なぜそこが大きく違うのかというと、ベンサムは功利主義者だったわけで…。
そもそも功利主義とは、道徳的な善悪の判断は行為のもたらす結果が有用かどうかによって決められると考える論理思想のことを指す概念。
そして功利主義における功利とは一義的に、苦痛を避け人間の身体に対して快感をもたらすものを求めるという身体的快楽に基づく概念とされてます。


それによりベンサムは、「苦痛や快楽といった身体的感覚を数値化できたら、他人と比べることもできるよな?」という考えに至ります。人間の構造っていうのは基本的には変わらないので。


このため功利主義において、一つ一つの行為の結果生まれる快楽の強さ・持続性・範囲といった要素を分析、それを量として数値化したうえで他人と比較するという快楽計算による計算結果に従って、「この行為の方が幸せになれる!こっちの方が善い!幸福の最大化や!」と結論づけられることになるんです。


もちろん幸福の元となる快楽のあり方も様々。「お腹いっぱい!嬉しい!」といった身体的快楽だけでなく、「友達できた!嬉しい!」といった心理的快楽も存在します。
ところがベンサムの功利主義においては、「心理的快楽も突き詰めれば、身体的な快楽をベースとした派生的な快楽じゃん?数値化できるやん」と捉えられてしまいます。


社会に存在する人間一人一人は自身の幸福のために生きる利己的な存在として認知されていて、社会の幸福の正体は個々の幸福だ!ということになったんです。


二つの論の決定的な違いは、ベンサム「個人の幸せが社会の幸福」、ハチスン「みんなでみんなを幸せすることが社会の幸福」というところにあるっぽいです。
目的は変わらないのですが、根本的なところ大きく違いますね。なんというか、双極的な気さえしてきます。